ELSTA1期生からは“父”と慕われた先生の生い立ちや国際災害医療協力の体験談など、ユニークな実話が盛りだくさん。一読必見の書!! 【主な内容】 学生時代に国際貢献として初めてタイ王国に足を運んでから半世紀以上になるが、それ以降のさまざまな経験が私の人生の背骨になっている。世界のどこかで災害が起これば現地に足を運び、瀕死の状態で苦しむ患者の命と向き合い、また、痛みをこらえて何時間も待つ人々の診療を行ってきた。そのときの患者たちは、知らない国の初めて会う医者に自分の命を託しているわけであるから、私たちにかかる重圧は並大抵のものではないが、その重圧を私は患者の信頼に応えたいという強い力に変えて取り組んできたように思う。加えて、水や食料や住環境など、決して恵まれているとはいえない地域であっても、その環境に順応する野性的嗜好能力が自分に身についていたことも幸いした。 世界は広い。いろいろな文化があり、考え方や思想、宗教も違う。それは実際にその地を訪れ、その地の人たちと会わなければわからない。そして、人とのつきあいには理解し合うことが大切であるし、時には譲歩も必要である。今、世界はバラバラになっている感があるが、それは理解と譲歩が足りないからである。地球という1つの乗り物にのっているのだから"We are on the same boat"と考えるべきである。 私は本書の編集にあたり、世界に飛び出すことがいかに視野を広げ、人生を切り拓いてくれるかを若い人たちに伝えたいと思った。そして、さまざまなことを体験しながら、いのちを紡ぎ、こころを紡いで頂きたい。 人の一生とは、多くの人との関わりがあって初めて成り立つことである。時には喧嘩もするし、泣いたり笑ったりもする。しかし、気がつけばそれが自分の宝物であり、勲章である
高齢化が進む中、看取りを行う場所が不足していることが問題になっています。現在日本で亡くなる方の数は、1年間に約140万人、2040年頃まで増加が続き160万人以上になることが予想されています。一方で、看取りの場となる医療機関や介護施設のベッドの急な増加は期待できません。このギャップを埋めなければ看取りの場所がない、看取り難民が発生してしまうことになります。こうした中で、最期の場所として在宅を積極的に活用することが進められています。過去を考えれば、戦前は多くの人が自宅で家族に囲まれ、最期を迎えていたはずです。それがいつの間にか、病院で亡くなることが当たり前の世の中になっていました。今、再度在宅での看取りが注目され、それを支える医療機関が増えています。我々も積極的にこうした療養を引き受け、訪問診療を行っています。 自宅での療養をサポート 在宅での療養を希望される方々は、必ずしも最新の医療や延命を求めているわけではありません。家族と過ごし、老いを受け入れ、病とともにあり、最期を迎えたい、という方が多いと思います。病院では、病を克服できないこと、亡くなることは、敗北の印象がありますが、家に帰ると一転、これを人生の最終章の大事な部分ととらえることができるようになります。ご本人、ご家族、そして介護や医療を支えるいろいろな職種の方々とこの貴重な時間を作り上げていく。 これにより安らかな晩年、温かい最期を迎えられるのだと思います。よい看取りには涙のない看取りが多いです。お亡くなりになった瞬間に、よくがんばったね、と拍手をするご家族にも出会ったことがあります。最期の療養にしっかり向き合ったご家族は、悲嘆がなく前を向くことができるのだ、と肌で実感した経験でした。 こうした在宅療養、看取りを地域で広めていきたいと考えています。相模原でクリニックを設立して2年が経過しました。現在、月に20件ほど在宅での看取りを担当させていただいており、その数も増加傾向にあります。これも今から迎える看取りの場所の問題を考えれば、まだ始まりに過ぎない状況でしょう。一方で、在宅での看取りが増えることは、多くの人にとって温かい最期を経験する貴重な機会にもなるはずです。安心な医療を届け、地域で体制を整え、こうした療養をお引き受けしていきたいと考えています。
|